安川電機
安川電機とは
~産業自動化を牽引するモーションコントロールとロボットの先駆者~
1. 概要
株式会社安川電機(Yaskawa Electric Corporation)は、1915年に創業された日本の老舗電機メーカーで、福岡県北九州市に本社を構えています。創業から100年以上にわたり、産業用モーターや制御装置の分野でグローバルに活躍しており、特にサーボモータ、インバータ、産業用ロボットなどの分野で世界的に高い評価を得ています。
安川電機のビジネスの中核を成すのは、「モーションコントロール」「ロボティクス」「ドライブ」「システムエンジニアリング」の4本柱。この分野での技術力と製品群により、自動車、電子部品、半導体、食品、医療など、あらゆる産業の自動化・効率化に貢献しています。
2. 主力製品・技術
◆ サーボモータ(モーションコントロール)
安川電機はACサーボモータとモーションコントローラの世界的パイオニアであり、メカトロニクスという言葉を世界で初めて提唱した企業としても知られています。代表的な製品シリーズは「Σ(シグマ)シリーズ」で、現在は「Σ-7」が主力。高精度・高速応答が特徴で、多軸制御やリアルタイム同期が求められるFA設備に最適です。
さらに、モーションコントロールソフトやPLCとの連携性も高く、機械制御を柔軟かつ高度に実現することが可能です。
◆ インバータ(ドライブ技術)
安川電機のインバータは、産業用モータの速度制御・省エネ運転において欠かせない製品です。「GA700」や「U1000」などが代表的で、高効率な制御を通じてエネルギー消費の削減を実現します。また、回生機能付きやクリーンルーム対応など、多様な産業ニーズに対応したラインアップがそろっています。
◆ 産業用ロボット(ロボティクス)
安川電機は産業用ロボットの世界トップメーカーでもあり、「MOTOMAN(モートマン)」シリーズは溶接、塗装、組立、搬送、パレタイジング、検査など、幅広い分野で活用されています。
ロボットアーム単体だけでなく、ロボットシステムとしてのソリューションも展開しており、近年ではAI・ビジョン技術との連携や、協働ロボット(人と一緒に働けるロボット)の開発にも力を入れています。
◆ i³-Mechatronics(アイキューブ・メカトロニクス)
安川電機は、スマートファクトリー実現のために独自のコンセプト**「i³-Mechatronics(インテリジェント・インテグレーテッド・イノベーション)」**を提唱しています。これは、制御機器・ロボット・データを一体化し、FA機器単体から工場全体の最適化までを支援する取り組みで、IoTやAIといった先進技術の実装を可能にしています。
3. グローバル展開
安川電機は、世界30か国以上に拠点を展開しており、北米、欧州、アジアを中心にグローバルにビジネスを展開しています。特に中国市場では強いプレゼンスを持っており、自動車や電子産業の自動化ニーズに応えるロボット供給を積極的に行っています。
また、北米ではモートマンブランドの認知度が高く、米国の自動車業界や航空機産業への納入実績も豊富です。
4. 業界への影響と強み
安川電機の強みは、「高性能×高信頼性」を実現する技術力と、あらゆる自動化のニーズに応える製品ラインナップにあります。特に以下のような点が業界で高く評価されています。
● 高速・高精度のモーション制御
● インバータによるエネルギー効率の最適化
● 柔軟なロボット活用による人手不足対策
● IoTとAIを活用した次世代スマート工場の実現
● ワンストップソリューションによる導入のしやすさ
多くの企業が部分的な機器提供に留まる中、安川電機は「装置・ライン全体を最適化するトータルソリューション提供」ができる稀有な存在であり、それが国内外での圧倒的な導入実績につながっています。
5. 持続可能な社会への貢献
安川電機は、SDGs(持続可能な開発目標)への貢献も企業ビジョンの中核に据えています。自社製品による省エネ推進はもちろん、福祉ロボットや再生可能エネルギー向けのパワーコンディショナ開発にも取り組み、社会課題の解決に向けた技術革新を続けています。
■ 創業者・安川敬一郎とは?
~明治の産業立国を支えた、カリスマ経営者のもう一つの顔~
安川電機の創業者は、安川敬一郎(やすかわ
けいいちろう)。福岡県の筑豊地方(現:飯塚市)で生まれた人物で、後に明治時代の実業界で大きな存在感を放つことになります。
彼は、実は「安川電機を作った人」というだけでなく、もう一つの大きな肩書を持っています。それは、日本の財閥「松本財閥(現・安川グループ)」の祖という存在です。
さらに…あの有名な「松下幸之助(パナソニック創業者)」や「盛田昭夫(ソニー創業者)」と並び、九州から出た明治の大起業家として、日本の近代産業史の礎を築いた一人ともいわれています。
■ 安川家と松本家の“産業ネットワーク”
安川敬一郎は、若い頃から事業家としての才覚に優れ、筑豊炭鉱の開発や物流事業を手がけて財を成しました。彼の義兄弟には、あの「松本健次郎(後の八幡製鉄所所長)」など、日本の重工業化に大きく貢献した人物がズラリ。
つまり、安川家と松本家の人脈が、後に「九州工業大学(現・九州工業大学)」や「八幡製鉄所」、さらには安川電機の誕生に直結していきます。
彼らの産業ビジョンは、**「日本を輸入に頼らず、自前で近代工業を興す」**という強い国家観に基づいていました。だからこそ、安川電機も「日本初の国産モーター」を創ろうという志でスタートしたわけです。
■ 「技術を守るために戦った」——創業初期の苦労話
創業から間もない1910~20年代、安川電機(当時:安川電機製作所)は外国製のモーターに対抗しようとしましたが、欧米勢の市場独占と技術格差は圧倒的。
特にドイツ・米国の電機メーカーは、技術供与を一切せず、部品もライセンスも出さない。そんな中、安川の技術者たちは「現物を分解して、構造を丸暗記して、自作する」という“いまでいうリバースエンジニアリング”のような手法で国産化に挑戦します。
当時の技術者たちは泊まり込みで図面を引き、試作と失敗を繰り返しながら、わずか2年で初の三相誘導モーターを完成。安川敬一郎はその姿を見て、「この技術は、我が国の未来を変える」と社員の前で涙を流したといわれています。
■ 「メカトロニクス」の誕生は、若手社員の“造語”だった!?
1969年に世界初の登録商標となった**「メカトロニクス」**という言葉。これは当時の若手技術者が提案した造語で、「メカニカル」と「エレクトロニクス」を組み合わせたもの。
社内でも最初は「ちょっと変な言葉じゃないか?」という意見もありましたが、技術統合の方向性と合致することから、上層部がこれを後押し。結果的に、世界中のFA業界に広まる言葉になりました。
ちなみに、この言葉の登録は1972年に完了し、それ以降、欧州や米国の技術者たちも「Mechatronics」という単語を使うようになります。まさに“日本発の技術文化”が世界標準となった瞬間です。
■ 安川電機のDNAは“志と粘り強さ”
安川電機の歴史を紐解くと、単なる「技術力の会社」ではなく、困難に挑む強い信念、そして日本のものづくりを自分たちの手でつくるという志が強く根付いた企業であることがわかります。
創業者の安川敬一郎の気骨、そして現場の技術者の粘り強さ。そこに「現場で磨かれる力」と「国を支える気概」が合わさって、今のグローバル企業・安川電機があるのです。
安川電機は、サーボ・インバータ・ロボットという3つの柱を軸に、ものづくりの自動化と効率化を支えるグローバル企業です。100年以上にわたる実績と技術開発力は、FA業界における標準を築き続けており、現在もスマートファクトリーの中核技術を担う存在として進化し続けています。
IoT、AI、エネルギー最適化といった次世代のキーワードにも強く、これからの製造現場を支える「自動化のパートナー」として、その存在感はますます大きくなっていくでしょう。
① 創業者・安川敬一郎の信念:「技術は買うな、育てよ」
安川敬一郎は事業家としての才覚に優れていただけでなく、“教育と技術者育成”に人生を賭けた人物でした。
実は、1907年に設立された「九州工業学校」(のちの九州工業大学)は、安川が私財を投じて創設を支援したもの。理由はシンプルで、「日本が本当に独立した工業国家になるには、自分たちで考え、つくる技術者が必要だ」と考えていたからです。
彼は「外国の技術を買って満足していては、日本はいつまでも二流だ。技術は自分たちで磨け」と周囲に語っていたそうです。
また、安川電機の初期工場でも**「技術者を“職人”として扱うな、知恵ある創造者とせよ」**という方針がありました。職場に図書室や研究スペースを設け、若い技術者が自由にアイデアを出せる雰囲気をつくったのも、敬一郎の“人づくり”哲学によるものです。
② 創業家のスピンオフと“東大出の反骨技術者”
戦後、安川電機が復興を進める中、社内には保守的な経営と戦う若手技術者たちがいました。
その中に、「東大卒で当時は異端とされた回路設計の鬼才」と呼ばれた技術者がいました。彼は旧来の重電機中心の製品開発に対し、「これからは小型で多機能な“制御の世界”が来る」と主張。
安川電機ではなかなか理解を得られなかったため、彼は一部の仲間とともに独立して別会社を設立。これがのちに、安川グループ内で制御システムや情報機器を担う重要な子会社となります。
このエピソードは、**“一人の反骨技術者が、企業グループ全体の進化を加速させた”**という意味でも、技術ベンチャー精神の原点と言えるでしょう。
③ 伝説のロボット開発者:「命を削ったMOTOMAN開発秘話」
1980年代、安川電機が世界に誇る産業ロボット「MOTOMAN」シリーズの開発を担当していた技術者チームには、**“開発室に寝泊まりしていた”**ほどの熱意あるメンバーが揃っていました。
その中でも伝説的なのが、開発リーダーのS氏(現存者のため匿名)。彼はロボットアームの挙動がほんの1度ずれるだけで、「製造ライン全体が止まる」ということを嫌というほど理解しており、毎日深夜まで油まみれになって実機と向き合っていたといいます。
ある日、設計したロボットが全く意図通りに動かず、徹夜明けのS氏は会議室で「こんな機械は、人が使えなければ意味がない!」と叫び、試作機を自ら分解してもう一度ゼロからやり直したというエピソードがあります。
この“やり直し”が、後の大ヒットモデル「MOTOMAN
UP」シリーズにつながったとされており、現在でも**「技術は情熱と執念で生まれる」**という社内伝承として語り継がれているそうです。
サプライチェーン情報
弊社の流通中古市場調査で、安川電器製の製品・部品は約13,000種類確認されています。
また互換・同等の製品・部品を供給している主な会社は以下のとおりです。
MOTOMAN ROBOTICS 約400 種類
VIPA 約600 種類
MINERTIA 約70 種類
MAGNETEK 約80 種類
SAFTRONICS 約60 種類
上記のサプライチェーン情報は2024年06月に調査した流通在庫データをベースにしていますので日時の経過によって変動いたします。
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