日立製作所( Hitachi)
日立製作所( Hitachi, Ltd.)とは
日立製作所は、1910年に日本で創業された、総合電機・IT・インフラ企業です。本社は東京都千代田区に所在し、日本を代表する名門企業の一つであり、「日立グループ」の中核企業として世界中に多数のグループ会社を展開しています。
企業スローガンは「Inspire the Next(次の時代を切り拓く)」であり、これに基づき、社会インフラ、IT、エネルギー、産業機器、鉄道、医療など多岐にわたる事業を展開。特に最近では、デジタル技術を活用した「社会イノベーション事業」に注力し、グローバル市場での存在感を強めています。

創業と歴史的背景
日立の始まりは、今では意外に思えるほど「小さな工場」からでした。
● 創業者:小平浪平(おだいら なみへい)
1910年、茨城県日立市(当時は久慈郡日立村)の鉱山(久原鉱業所)に勤務していた小平浪平が、国産初の「5馬力誘導電動機」を開発。これが日立製作所の原点です。
当時、日本の産業機器は多くが輸入品であり、修理やメンテナンスもままならない時代でした。小平は「国産で信頼できる機械を作るべきだ」と考え、仲間と共に電動機を製作しました。
- この開発拠点がのちの「日立鉱山機械修理工場」→「日立製作所」へと発展。
- 社名「日立」は、そのまま地名から取られています。
創業当初から「技術立社」を掲げ、「優れた技術で社会に貢献する」という理念は、今も日立グループ全体に息づいています。

日立の事業領域
現在の日立製作所の事業は、大きく次の5分野に分けられます。
1. IT(情報通信システム)
日立は、企業・自治体向けのITシステム構築やクラウドサービス、セキュリティ、AI、IoT、データ分析などを提供。日立独自の「Lumada(ルマーダ)」というデジタルソリューション基盤が中核にあり、産業・医療・交通分野のデジタル化を推進しています。
2. エネルギー事業
発電所向けのタービンやボイラー、変電・送電機器、再生可能エネルギーシステムなどを展開。原子力発電技術にも長年関与しています(近年は縮小傾向)。また、水素や蓄電池を活用した新エネルギー分野にも取り組んでいます。
3. 産業・社会インフラ事業
上下水道設備、鉄道車両(特に英国で有名)、建設機械、エレベーター、空調機器などを提供。特に社会インフラに対するソリューションは、国内外で高い評価を得ています。
4. モビリティ(鉄道)ソリューション
日立は英国やイタリアなどの鉄道市場で大きなシェアを持ち、次世代高速鉄道や信号システムなども手がけています。ロンドンの通勤電車「Class 800シリーズ」は日立が開発したものです。
5. ヘルスケア・ライフサイエンス
MRI、CT、超音波診断装置といった医用機器、さらにはバイオ研究用の分析機器も展開。予防医療や遠隔医療支援にも参入し、超高齢社会の課題に貢献しています。

グローバル展開と戦略
日立は近年、「日本発グローバル企業」への変革を進めています。
- 海外売上比率は5割以上に達しており、特に欧州・北米・アジア市場での存在感が増しています。
- 英国では鉄道事業、アメリカではITとエネルギー事業、インドでは産業設備と水処理など。
- 2020年には、スイスの大手IT企業「グローバルロジック(GlobalLogic)」を買収し、デジタル事業を急拡大。
このように、単なる製造業から、「社会課題を解決するソリューションプロバイダ」としてのポジショニングを強めています。

技術力と実績
日立は創業以来、「技術で社会を支える」ことに一貫して注力してきました。
- **世界初の電子顕微鏡(1939年)**を開発。
- スーパーコンピュータ「HPC」や量子コンピューティングの研究も推進。
- 交通ICカードシステムや、生体認証システムの開発にも貢献。
また、品質の高さ・堅牢性・安全性に定評があり、鉄道や原子力など信頼性が最重要視される分野での実績は群を抜いています。

面白いエピソード:社章の由来と「ひたち坊や」
日立の社章「〇に日立」のマークには面白い由来があります。
- 創業者・小平浪平が「永遠に日が立ち昇るように」と願いを込めてデザイン。
- 円は「太陽」、中央の縦線は「昇る光」、横棒は「大地」を意味すると言われます。
また、1960年代から長年親しまれていたキャラクター「ひたち坊や」も人気でした。電化製品のカタログや広告で活躍し、「この木なんの木」のCMソングとともに高度経済成長期の日本人に深く浸透しました。

サステナビリティと社会貢献
日立は「環境と共生する企業」として、以下の取り組みにも力を入れています。
- 2050年までにカーボンニュートラルを達成目標。
- 水・空気・エネルギーに関する環境ソリューションの提供。
- 教育支援や災害支援など、CSR活動も世界各地で展開。

今後の展望
今後の日立は「グリーン×デジタル」をキーワードに、脱炭素社会・スマート社会への貢献を目指しています。
- AIやIoTを活用したインフラの最適化
- スマートシティ構想への参画
- 医療・福祉分野での新技術導入
- グローバル企業としての統合ブランディングの強化

終わりに
日立製作所は、「日本のモノづくり」の象徴とも言える存在から、いまや「デジタル社会を支えるグローバルソリューション企業」へと進化しています。その根底にあるのは、創業時から変わらない「技術で社会に貢献する」という理念です。
100年以上にわたり社会インフラを支え続けてきた日立の歩みは、これからの時代にも多くのヒントを与えてくれる存在と言えるでしょう。
エピソード①:社長が工具箱を持って全国営業!
創業者の**小平浪平(おだいら なみへい)**は、エンジニアであると同時に、営業マンでもありました。
日立が開発した「国産5馬力モーター」は、当時の日本では全く認知されておらず、売れる見込みもない状況。そんな中、小平は工具箱を片手に、実際に機械を担いで全国を営業して回ったと言われています。
しかも、売り先は鉱山や製糸工場などの地方の現場。交通も不便で、舗装道路も少ない時代に、重たいモーターを背負いながら「これは国産で、修理も楽ですよ!」と熱意で売り込んでいたというのだから驚きです。

エピソード②:「5馬力モーター」製作のドタバタ劇
日立の原点である5馬力モーターの製作は、今で言うスタートアップの深夜開発そのものでした。
- 技術資料はほぼゼロ。設計図もなく、すべてを手探りで開発。
- 材料が足りず、鉄くずを集めて巻線コイルを作成。
- 工具も足りないので、自作の旋盤で加工。
- 出来上がった試作品の通電実験では、「爆発するのでは」と全員が緊張。
しかし、**「うなり音と共にモーターが回転した瞬間、誰もが涙を流した」**と記録にあります。現代のエンジニアにも通じる、ものづくりの原点を感じさせる瞬間ですね。

エピソード③:「製造現場に神棚と茶室」!?
戦前・戦後にかけて、日立の工場では**「技術だけではダメだ、心も鍛えよ」**という教育が重視されていました。
その一環として、なんと一部の工場には茶室や神棚、さらには禅堂まで設置されていたそうです。
- 技術者たちは仕事の前に神棚に手を合わせる。
- 茶道を通じて「間を読む力」を学ぶ。
- 禅堂で精神統一してから開発に臨む。
これは日立独特の「人間教育」であり、技術と心の両立を重んじる文化が根づいていた象徴とも言えます。

エピソード④:「日立市」が会社名に!?逆じゃないの?
日立製作所の名前の由来は、**茨城県の日立村(現在の日立市)**です。
しかし、実はこれ、逆なんです。日立市の方が、会社名から名付けられたのです!
どういうことかというと…
- 元々は「久原鉱業所・日立鉱山の工場」として誕生した日立製作所。
- 工場が地域の雇用を支え、インフラ整備も推進。
- その後、町が発展していく中で、町の名前を「日立」とした。
- 結果的に、「会社名から町名が生まれた」珍しい例に。
いわば、企業が町の名前を背負わせたレベルの貢献をしていたわけですね。

エピソード⑤:「この木なんの木」でおなじみのCM戦略
日立グループといえば、あの名CMソング「♪この木なんの木 気になる木〜」でおなじみのTVCMも有名です。
実はこのCM、1973年から続く最長寿の企業グループCMのひとつで、ハワイのモアナルア・ガーデンに実際にある木を使って撮影されています。
- この木は「モンキーポッド(アメリカネムノキ)」という樹種。
- 日本からの観光客が「日立の木」と呼び、聖地巡礼スポットに。
- 今では日立がモアナルア公園の管理協賛も行っている。
つまり、CMから国際的な文化交流までつながっている、企業広告の成功例でもあります。

まとめ:日立に流れる「人間臭さと技術魂」
日立の歴史には、
- 地道な営業と現場主義
- ゼロからのモノづくり精神
- 教育と人間力を重んじる文化
- 地域社会への深い関わり など、どこか人間臭くて泥くさいけれど温かいストーリーがたくさん詰まっています。
こうしたエピソードは、単なる「大企業の成功例」とは違い、「一歩ずつ信頼を積み重ねてきた町工場の魂」も感じられるところが、日立らしさだと言えるでしょう。
サプライチェーン情報
弊社の流通中古市場調査で、日立製作所製の製品・部品は約6,600種類確認されています。
また互換・同等の製品・部品を供給している会社は以下の会社です。
日立精機 約数種類
上記のサプライチェーン情報は2025年01月に調査した流通在庫データをベースにしていますので日時の経過によって変動いたします。
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